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1913 副産物の画期的ビジネス

誰も見向きもせずに捨てられていた精肉後のスジや皮。そうした副産物を再利用、更にそれをビジネスにできるのではと考えたのが、精肉業者のシュバルツチャイルト&ザルツバーガー社(Schwarzchild and Sulzberger)です。同社は、そのビジネスの実現に向けて、アシュランド・マニュファクチャリング社(Ashland Manufacturing Company)を設立します。こうして、米国シカゴに誕生した会社が、実はウイルソンの前身なのです。
1914 早くも自社製品が世に

アシュランド社は、それまで捨てていた精肉の副産物を利用する研究を推進。そして、外科用の縫合糸と廉価なテニスラケット、ラケットのストリング、2種類の野球用シューズを開発して、商品化にまでこぎつけます。初代の統括マネージャーを務めたのが、初期のスポーツ用品業界を代表する専門家の一人であるE. C. シートンです。彼が打ち出した方向性に沿って、アシュランド社はスポーツ用品ビジネスの世界へ踏み込みます。設立後1年足らずでアシュランド社は、スポーツ用品に専念すべく親会社から独立。革新的な技術と品質を武器に会社を大きく成長させて、アスリートとスポーツ界への貢献を目標として掲げ、躍進をはじめたのでした。
1915 75セントのテニスラケット

この年、フットボール用ジャージ、バスケットボールや室内野球用のボールを製品ラインに追加し、75セントのスター・テニスラケットを発表することができました。
1916 大統領の名前が社名に?

ニューヨークの銀行に買収されたことを機に、当時全米で絶大な人気を誇った第28代大統領ウッドロー・ウイルソンにあやかり、社名を“ウイルソン”と変更……と思いきや、世の中そんなにうまくはいきません。米国法務局から大統領の名前の使用禁止通達が出されてしまいます。そこで、苦肉の策として、当時は一介の従業員に過ぎなかったトマス E.ウイルソンをなんと社長に抜擢して、社名をトマス E. ウイルソン社(Thomas E. Wilson Co.)に変更します。

社名変更後に、運動競技用のユニフォームや衣料品を製造するために、へッツインガー・ニッティング・ミルズ(Hetzinger Knitting Mills)を買収します。会社があまりにも急成長したために、これまでの社屋ではあまりにも窮屈になり、急遽、シカゴのサウスサイドにある赤レンガ造りの廃校を自社ビルにして移転。更に、ゴルフバッグの製造ラインも確立できたらと、キャディー・バッグ工業(Indestructo TM Caddie Bag Co.)を吸収合併。色々なバッグを生産していた会社ですが、ゴルフバッグの生産に特化させます。 この年には“J-4バスケットボール”と“A-5フットボール”を発表しています。
【J-4バスケットボール】画像
【J-4バスケットボール】
1917 画期的な保証期間

この年トマス E.ウイルソン社は、すべての製品を無条件で2年間保証するという、当時としては画期的な広告を“サタデーイブニングポスト誌”に掲載しました。この広告は、まさにスポーツ用品業界を震撼させる大きな事件となります。技術が発展した今なら、2年間の製品保証も当然といえば当然ですが、今から80年近く前に長期保証を打ち出すというのは、まさに商品への自信と愛着の証しにほかなりません。この年に、ゴルフクラブの製造も開始して、フットボールのヘルメットも製品ラインに追加。さらに、ティンカー・エバース・チャンス(Tinker-Evers-Chance)というニックネームで知られた内野手のジョー・ティンカー(Joe Tinker)を野球部門の営業部長に迎えます。
1918 公式バスケットボールに

この年トーマス E.ウイルソン社は、更なる商品の向上や新商品への探求に向けて、上級管理職の刷新に踏み切ります。新社長には、L. B. アイスリー(L.B. Icely)が就任。新社長の下で品質の向上に邁進した結果、会社はさらなる急成長を遂げ、売上げも百万ドルの大台に乗ります。また、2年前に発表した“J-4バスケットボール”がAAUナショナル・チャンピオンシップスのオフィシャルバスケットボールとして採用されます。
1919 本格的な宣伝活動を開始

品質の向上と新製品開発に力を注ぐ一方で、トーマス E.ウイルソン社は、マーケティングにも力を入れ始めます。その一環として実施したのが、当時としては画期的な共同販促プログラムであるディーラー・エイド(Dealer-Aid)です。このプログラムで販売店との協賛による広告宣伝活動を推進した結果、売り上げは50%の伸びを記録。生産能力が追いつかないほどの成功を収めます。

続いてトーマス E.ウイルソン社は、シカゴ・スポーティング・グッズ社(Chicago Sporting Goods Co.)を買収してユニフォーム製造分野に進出。さらに、上質な革製品の製造で知られていたオハイオ州カントンのセルズ・マニュファクチャリング社(Sells Manufacturing Co.)も買収します。セルズ社には、トップクラスの職人が多数在籍していました。そのうちの一人が、業界で特に有名だった革職人のアーチ・ターナー(Arch Turner)です。ターナーがデザインしたボールが、その後何年もたってから、フットボールのゲームが大きく様変わりするきっかけとなることは、この当時の誰も予想してはいなかったでしょう。投げやすく、受けやすく、どんな天候でも扱いやすいターナーのボールこそが、前方へのパスによる攻撃という近代フットボールの戦法が生まれる源流となったのでした。

トーマス E.ウイルソン社はまた、ウエスターン・スポーティング・グッズ社(Western Sporting Goods)と販売契約を結んでユニフォームのトップメーカーとなったほか、野球チームのシカゴ・カブスのオフィシャル・サプライヤーにもなりました。
【野球用ユニフォーム】画像
【野球用ユニフォーム】
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